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【岡伸昭さん追悼 『超・西洋美術史500年』 ライブレポート 】(11.2/5開催)

2011年06月30日

【訃報 岡伸昭さん。2011年5月26日に癌のため死去。44歳。】

※このイベントは今年の2月5日に 岡伸昭さんを講師に招き開催されましたイベントのライブレポートです。

岡伸昭さんの御冥福を心よりお祈りいたします。

東京カルチャーカルチャー

【『超・西洋美術史500年』イベントプロデューサー・テリー植田より】

昨年11月2日に打ち合わせした時は、エネルギーが爆発していました。

熱い西洋美術の歴史を新宿の喫茶店で2時間。熱い熱い白熱教室でした。
2月5日にカルカルに出演頂いた時は、体調のことはなにもおしゃっておらず、
イベントが終わった後には、6月にまた次回をやろうとお話をしていた。

「病室でプレゼンの資料つくりますよ、パソコンを内から病室に持ってきましたから任せて下さい。」と、病室でも熱かった。
しかしながら、少しして入院されている病院から体調が悪いのでイベント開催は、
白紙に戻して欲しいとお電話を頂いた。

きっと気を使ってか、癌だとは僕には、おっしゃらずだった。
なぜ、この時にお見舞いにすぐに行かなかったのか。
病室での資料づくりの無理をさせてしまったかもしれない。後悔、後悔、後悔。
アフロ姿で、しゃべり出したら止まらない岡さんだった。

火葬場で見たのがこのイベントの告知写真と同じで涙が止まりませんでした。
カルカルでは、岡さんの意思をついで、美術を愉しむためのトークショーを継続していきます。
岡さんのこの笑顔は、一生忘れません。
このライブレポートが最後に人前での講義だったかもしれません。

合掌。

東京カルチャーカルチャー プロデューサー・テリー植田

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美術をテーマにいろんな切り口で美術史、アート作品を紹介しながら知らなかったアートの歴史を濃密解説。
飲みながら食べながら学べる「大人の部活」的ラーニング・トークライブ。

2時間半の間に500年の西洋美術史をお勉強!
なんて贅沢な内容なんだ!

まずは岡先生の紹介。

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岡伸昭(アーティスト)

武蔵野美術大学ボクシング部出身。
近年 “After The Dance 【Get On The Good Foot】”をSoul Power Summit代々木第一体育館をはじめギャラリーなど世界で展開。
Soul Dance , Stepの神様、ニック岡井氏との共同作品はまさに“SWEET”。
美術史のレクチャラーから音楽イベントのコメンテーター、ラウンジDJなども。

「いやぁ~、美大でボクシング部だったからね!
そりゃあ、珍しがられたよ!」と一言。

ということで、早速、講義スタート!

●画像としてとらえる

絵画は、画像というふうに考えたほうがいいんじゃないか。

今、家で見られる絵画というものは、カメラで写したものである。
現物ではなくて、その画像のイメージをみんなで楽しんでいく。
解釈の差はあれど、画像として捉えるといいとのこと。

●POPアートの誕生

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▲POPという文字が入っていることから、この作品を「POPアート」の第一号にしようとの考え方が。

ポップアートの始まりは、イギリスからだった。

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このジャケットは、ビートルズが何か新しいことをやろうとしていた時期で、この絵には、世界中の有名な人たちに囲まれたビートルズがいる。
この技法をコラージュという。

では、どのようにして、ポップアートが出てきたのか

1910年代、「描くぐらいなら、貼っちゃえばいいじゃん」という、遊び的な考えから生まれた。
新聞のような印刷物を貼ることから、コラージュは始まった。

このあと、大戦中にダダ(=破壊)という言葉が生まれてきた。
既成概念を否定するということだが、戦争中の貧しい物資の中で作品を作ろうとすることと直結している。
画材を使わなくても作品ができるということが、彼らにとってはかっこいいことに思えたようだ。
その頃、アーティストは疎開をはじめ、そこから生まれてきたものが、ポップアート。

そして、この当時は、とんでもないくらい、色々なアーティストが出てきた。

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▲「へぇ~」「ほぉ~」
もはや、うなずき連発のテリー植田さん

●では、POPアート以前の絵とは・・・

1464~7年に描かれた絵

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座っている4人の中でキリストだけ、ちょっとデカい。
・ある人物を象徴的に見せるために、正面を使うことが多かった。
・モナリザのように、少し横向きに描くことがあったが、こうすることで、肩と肩との距離感を表現
・よく見ると、テーブルに並んでいる食器などの位置関係がおかしいが、これは一つ一つの物を弟子が分業で描いたという説がある。

テリーさん「この絵は、どこかから発注されて描いたものなんですか?」
岡先生「宗教画などは、発注された描いたものだと思ってください」

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▲見よ。素晴らしくエキサイティングな講義ではないか。

●ギリシャ時代

物が完成していく一歩手前の段階。

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この頃は、真横や正面からの彫刻が多いことに気づく。
中には片足を前に出そうとしているものもあり、その気持ちが発展していく。
それまでになかった、体を曲げるという造形表現ができるようになった。

その後・・・

(基本的に、彫刻は神様が多いが)一般人も登場するようになった。
形としては、実際に見てつくるというよりは、理想のものをつくっていくという感じであった。

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▲ミロのヴィーナス

目は17歳。
腰くらいまでが40歳くらいの女性。
柔らかい曲線を考えた時に、そのくらいの年齢がふさわしいと考えられていた。

こういう感じで、美しいパーツとパーツを組み合わせていた。

●巨乳ヌードはあった?

素朴な疑問だが・・・

「ない」とのこと。
全体の調和を考えていかないといけないということで、胸だけを強調するのはいかがなものかという考えがあったようだ・・とのこと。

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▲「バランスねぇ・・・」と、なぜか しみじみするテリーさん

●絵画はどうなっていった??

初期ルネッサンスの頃、修道院の中に飾られていた絵。歴史がすすむにつれて、表情が柔らかくなってくる。

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▲絵画がすすんでいくと、その状況を描いたほうがいいのか、主役を中心に描いたほうがいいかという問題が生じてくる。

この頃になると、肖像画を描く上での、きまりごとが生まれてきた

・目の位置は3分の1か、4分の1あたりで。
・頭から肩のラインが、どっしりとした三角形

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▲三角形の構図
人物が重なっても三角形の構図を意識している。

岡先生「レオナルド・ダ・ヴィンチの考え方の特徴の一つに、線は存在しないということが挙げられます。人と背景の境のところに線を引くことで、面をつくってしまっているじゃないかと」
テリーさん「今日はちょっと寝られない気がします(苦笑)」

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▲デューラー
27歳の時に描いたとされる絵

真正面を描いていることからして、「人々に見られるもの」であるということを意図して描いたものであると、見られている。

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▲目の部分も細かい・・・

●「モナ・リザ」の解釈

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・モナリザの背景は、右側と左側とでは、描かれている風景が違うが、全体を一つの絵として見ること。
・遠近法の考え方として、下の部分が今の世界を現していて、上にいけばいくほど、過去にさかのぼる・・ということを意味している。
・油絵は何度でも描き増すことからして、この絵は完成品ではないのではないかと思われる。

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▲正面から見るのではなく、絵の斜め右から鑑賞する絵画も

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▲見よ。お客さんの真剣な顔を。
メモをとる人も続出。

●18世紀、フランス革命以降

ナポレオンの「自由平等」という考え方が絵画に入り込んでくる

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▲ナポレオンが、キリスト教と肩を並べるまでに偉くなったことを、この絵画で示そうとしているのだそうだ。

ナポレオンの奥さんはナポレオンよりも年上で、そのまま絵画に入れるにはふさわしくないということで、実際は画家の妹をモデルとして描いたという話も。

岡先生「ナポレオンというと、白馬に乗った場面の絵を思い出される方も多いかと思いますが、ああいうことは白馬に乗ってはできないわけで、あれはナポレオンに気に入られようと思った人が描いた絵だといわれています」

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▲テリーさん「背中が長すぎますね・・・」

岡先生「背骨の数が多いという話がありますね」

●アングルが描いた絵のいろいろ

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▲タッチのうまさ

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▲手の描写の細かさ

ちなみに、アングルは、カメラが発明された時、肖像画の仕事が減るとして、訴訟を起こしたそうだ。

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▲報道写真の色合いが強い絵も生まれてくる

写真で撮ったものとは違う雰囲気の絵が登場し、写真との差別化が。

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▲「ひまわり」の解説も。
あれも ひまわり、これも ひまわり・・・

こうして、2時間半にわたるエキサイティングな講義が終了。

講義が終わってから岡先生がおしゃっていたことが耳から離れない。
それは・・・

「近頃の学生(若い人)は、おとなしすぎる。なぜ、自分から何かをしようとしないのか・・・」
ということ。
岡先生が学生の頃は、校内を歩けば変わった人だらけで、いかにして自分が目立つかということばかりを考えていたそうだ。
それに比べると、今の若い人は、みんな同じような服を着て、おとなしそうにしているのが不思議でしょうがないとおっしゃっていた。

(文:やきそばかおる ←見かけはフツウですが、名前はフツウではないと言われます)

※2011年5月26日、岡先生は44歳の若さで死去されました。
御冥福をお祈りいたします。